海洋監視の『切り札』がなぜ…　海保の大型無人機、着陸失敗で全機運用停止

なぜ『切り札』は翼を失ったのか？

発端となった北九州空港での一幕

衝撃の事態の引き金は、2025年11月23日に福岡県の北九州空港で発生した1件の事案でした。運用中のシーガーディアン1機が、任務を終えて着陸する際、機体後部のプロペラと垂直尾翼を滑走路に接触させ、損傷してしまったのです。幸いにも火災や負傷者はありませんでしたが、この出来事が事態を大きく動かしました。最新鋭機が起こした、予想外の着陸失敗。それは、単なる機材トラブルでは済まされない、深刻な問題をはらんでいました。

『重大インシデント』認定の重み

この事案を受け、国土交通省は即座に重い判断を下します。それは、この着陸失敗を、航空事故につながる恐れのある『重大インシデント』に認定するというものでした。これは、単なる「事故未満のトラブル」ではなく、一歩間違えれば大惨事になりかねなかった深刻な事態であると国が公式に認めたことを意味します。この認定を受け、国の運輸安全委員会は、原因究明のために専門の調査官を現地に派遣。機体の状況やフライトデータ、当時の運用記録など、徹底的な調査が開始されたのです。

1機の失敗が全機停止につながった理由

海上保安庁は、この重大インシデント認定と調査開始を受け、事故機だけでなく、保有する同型の残り2機についても運用を停止するという厳しい決断を下しました。なぜ1機の失敗で、問題のないはずの他の機体まで止めなければならなかったのでしょうか。それは、原因が特定できていないためです。機体そのものの設計上の欠陥なのか、制御システムの問題なのか、あるいは運用方法や整備に問題があったのか。原因が分からない限り、他の機体でも同様の事案が再発するリスクを払拭できないからです。海上保安庁は「安全に運用できると判断するまで」停止を続けるとしており、再開の目処は立っていません。

では、そもそもこのシーガーディアンは、なぜそれほどまでに日本の海洋監視において重要な存在と見なされていたのでしょうか？

期待の星『シーガーディアン』その驚きの性能とは？

24時間以上飛び続ける『空飛ぶ監視塔』

シーガーディアンが『切り札』と呼ばれる最大の理由は、その圧倒的な性能にあります。特に驚異的なのが、その航続能力です。一度の離陸で24時間以上、距離にして約8,200kmも連続で飛行することが可能です。これは、東京からハワイまで無給油で飛べる距離に匹敵します。従来の有人航空機では、パイロットの疲労や燃料の問題から、数時間おきに基地へ帰投する必要がありました。しかしシーガーディアンは、昼夜を問わず同じ海域に留まり続け、まさに「空飛ぶ監視塔」として、途切れることのない監視を実現できるのです。この能力は、広大な海域をカバーしなければならない日本にとって、まさに革命的なものでした。

日本の広大なEEZを守る『千里眼』

日本の排他的経済水域（EEZ）の面積は、国土の約12倍にも及ぶ約447万平方キロメートル。これは世界でも第6位の広さを誇ります。この広大な海をくまなく監視することは、これまで非常に困難な課題でした。シーガーディアンは、高性能なレーダーや赤外線カメラなどを搭載し、遠く離れた海上の小さな船舶さえも識別できる『千里眼』を持っています。これにより、不審船の発見や違法操業の監視、海難事故の捜索救助など、様々な任務を効率的にこなすことが期待されていました。まさに、日本の海の安全と国益を守るための強力なツールとなるはずでした。

しかし、この期待の星が地上に縛り付けられた今、日本の海の守りには深刻な影響が出始めています。

運用停止がもたらす『海の空白』―日本の安全保障への影響は？

尖閣諸島周辺の監視体制への懸念

シーガーディアンの運用停止が最も懸念されるのが、尖閣諸島周辺など、安全保障上、特に重要な海域の監視です。この海域では、中国公船による領海侵入が常態化しており、24時間体制での警戒監視が不可欠です。シーガーディアンは、こうした海域に長時間滞空し、リアルタイムで映像を送り続けることで、現場の状況把握能力を飛躍的に向上させることが期待されていました。この『空の目』が使えなくなることで、日本の海の守りに『監視の空白』が生まれるリスクが現実のものとなっています。現場の海上保安官や有人航空機の負担が増大することは避けられません。

見過ごされる違法操業や密輸のリスク

影響は安全保障の分野に留まりません。広大なEEZ内で行われる外国漁船による違法操業の監視も、重要な任務の一つです。日本の貴重な水産資源が不当に奪われるのを防ぐため、シーガーディアンによる広域監視は大きな効果を発揮するはずでした。また、麻薬や銃器などの密輸ルートとして洋上が使われるケースも後を絶ちません。監視能力が低下すれば、こうした犯罪行為を見逃す可能性も高まります。私たちの食卓や暮らしの安全にも、間接的に影響が及ぶ可能性があるのです。

再び現場へとのしかかる重圧

最終的に、無人機が担うはずだった任務の穴を埋めるのは、現場の海上保安官と有人航空機です。海上保安庁は慢性的な人員不足という課題を抱えながら、日々過酷な任務にあたっています。シーガーディアンの導入は、こうした現場の負担を軽減し、より効率的な監視体制を構築するための切り札でした。しかし、その運用停止により、再び有人機と乗組員への負担が増大するという現実に直面しています。現場の疲弊は、長期的に見れば日本の海洋監視能力全体の低下につながりかねません。

これほど大きな影響が出る中、誰もが知りたいのは「いつになったら運用が再開されるのか」ということです。その鍵を握るのは、原因究明の行方です。

今後の焦点は？―『空の目』は再び日本の海を守れるか

海洋監視の『切り札』が翼を失った今回の事態は、最新技術に寄せる期待と、その運用に伴うリスクを改めて浮き彫りにしました。原因が究明され『安全に運用できると判断するまで』停止は続くという海上保安庁の方針は、安全を最優先する上で当然の判断です。しかし、その間にも日本の海の守りには空白が生まれています。焦点は、運輸安全委員会による調査で、事故原因がどこまで特定できるかにかかっています。機体の構造的な欠陥か、ソフトウェアの問題か、あるいは人的要因か。原因を徹底的に究明し、確実な再発防止策を講じることが、運用再開への唯一の道です。日本の広大な海を守る『空の目』は、この試練を乗り越え、再びその翼を取り戻すことができるのか。調査の行方が、今後の日本の海洋安全保障を大きく左右することになります。