医師の作業「28分が8分に」 富士通の生成AI、医療現場の働き方を劇的に変える

なぜ今、医療現場にAIが必要なのか？

限界に達した医師の労働環境

日本の医療現場は、長年、医師の献身的な長時間労働によって支えられてきました。しかし、その限界は目前に迫っています。特に大学病院や地域の基幹病院では、医師が当直勤務の翌日も通常通り働き続けるといった過酷な労働が常態化し、心身の疲弊や医療ミスのリスクが深刻な問題となっていました。この状況は、医師個人の問題だけでなく、日本の医療システム全体の持続可能性を脅かす大きな課題です。患者の命を預かる医師が、万全の状態で働けない環境を放置することはできません。社会全体でこの問題に向き合う必要があったのです。

タイムリミット「医師の2024年問題」

こうした状況に歯止めをかけるため、ついに国が動きました。2024年4月から、医師の時間外労働に上限を設ける「医師の働き方改革」が始まったのです。これは「2024年問題」とも呼ばれ、医療機関にとっては待ったなしの対応を迫られる大きな転換点となりました。これまでのように医師の長時間労働に頼ることができなくなるため、業務の抜本的な効率化が不可欠になったのです。この差し迫った課題を解決する切り札として、医療DX（デジタルトランスフォーメーション）、特に生成AIの活用に大きな期待が寄せられています。

では、このAIは具体的にどのようにして、医師の負担を劇的に減らしたのでしょうか？

驚異の「7割減」！AI医師事務の実態とは？

名古屋で始まった『AI医師事務』

その先進的な取り組みが始まったのは、独立行政法人国立病院機構名古屋医療センターです。ここで、富士通Japanが開発した生成AIを活用した医療文章作成支援サービスが本格導入されました。このサービスは、いわば「AI医師事務作業補助者」。医師が膨大な時間を費やしてきた医療文書の作成を、AIが肩代わりするという画期的なものです。2025年10月31日からは、同センターの全診療科で本格運用が開始されることが決定しており、医療現場の働き方改革を力強く推進するモデルケースとして注目を集めています。

28分が8分になった魔法の仕組み

このAIの最も大きな役割は、退院サマリの作成支援です。退院サマリは、患者の治療経過を他の医療機関と共有するための重要な書類ですが、作成には電子カルテに記録された膨大な情報（検査結果、投薬履歴、看護記録など）を読み解き、要約する必要がありました。このAIは、電子カルテ内の構造化されていないテキストデータも含めて解析し、わずか数分で退院サマリのドラフト（下書き）を自動生成します。医師は、そのドラフトを確認・修正するだけで済むため、患者一人あたり平均28分かかっていた作業が、わずか8分にまで短縮されたのです。これはまさに、テクノロジーがもたらした魔法と言えるでしょう。

年間5,000万円のコスト削減インパクト

この驚異的な時間短縮は、単に医師の負担を減らすだけではありません。病院経営にも大きなインパクトを与えます。名古屋医療センターでの実証実験の結果、この業務効率化によって年間で約5,000万円以上のコスト削減効果が見込まれることが明らかになりました。これは、医師の残業代の削減や、医師事務作業補助者の人件費を抑制できるためです。削減されたコストは、最新の医療機器の導入や、さらなる人材育成に再投資することが可能になり、病院全体の医療サービスの質向上へと繋がる好循環を生み出す可能性を秘めています。

しかし、これほど便利なAIにも、乗り越えるべき大きな課題があります。それは、患者の大切な個人情報をどう守るかという問題です。

期待と課題―AIは医療の救世主になれるか？

医師は患者と向き合う時間を取り戻せるか

AIによって生み出された「時間」の価値は、計り知れません。これまで書類作成に費やされていた時間を、医師が本来やるべき専門的な業務に充てることができるようになります。例えば、患者やその家族とじっくり対話する時間、最新の治療法を学ぶための研究時間、そして何より、心身を休めるための時間です。これにより、医療の質の向上と、医師がやりがいを持って働き続けられる環境の実現が期待されます。AIは単なる作業効率化ツールではなく、医療の「人間性」を取り戻すための重要なパートナーになり得るのです。

個人情報をどう守る？セキュアなAIの仕組み

医療情報という極めて機微なデータを扱う上で、セキュリティの確保は絶対条件です。万が一、患者の個人情報が外部に漏洩すれば、その信頼は根底から覆されます。富士通Japanのシステムは、この点に最大限の配慮をしています。基盤となっているのは、Microsoft Azure OpenAI Serviceですが、これをインターネットから完全に隔離された閉域ネットワーク内で運用しています。これにより、電子カルテのデータが外部に出ることなく、院内で安全に処理される仕組みを構築。高度なセキュリティを確保することで、AI活用の大きなハードルをクリアしているのです。

富士通が描く「デジタルホスピタル」構想

富士通Japanは、今回の成功を単なる一事例で終わらせるつもりはありません。同社は、電子カルテを提供するだけのベンダーから脱却し、病院全体のDXを支援する「デジタルホスピタルサービス」事業者へと進化することを目指しています。今後は、退院サマリ以外の多様な医療文書（診断書、紹介状など）への適用拡大や、全国の他の病院への展開も視野に入れています。この動きが加速すれば、日本の医療業界全体の生産性が向上し、私たちが受ける医療のあり方そのものが、より良く変わっていくかもしれません。

医師は『人間らしい仕事』を取り戻せるか？

AIによる事務作業の自動化は、医師の働き方を根本から変え、日本の医療が抱える構造的な課題を解決する大きな一歩です。「28分が8分になる」という変化は、単なる数字以上の意味を持ちます。それは、医師が機械的な作業から解放され、患者との対話や高度な医学的判断といった「人間にしかできない仕事」に集中できる未来への扉を開くものです。ただし、鍵を握るのは、この技術をいかに全国の医療現場へ安全に普及させ、創出された時間を真に医療の質の向上へと繋げられるかです。この技術革新は、日本の医療の救世主となるのでしょうか。今後の展開から目が離せません。